深夜の散歩
午前3時。
こんな時間だけども、目が覚めてしまい、そのあとどうにも眠れなくて外の空気を吸いに出てきた。出てみた。
酒ではなくコーヒーを買って、飲んでいる。雪印のコーヒー牛乳だ。甘みが少々強すぎるものの、幼少期から慣れ親しんだ味わいが心を落ち着かせてくれる。美味しいのではなく安心する味なのだ。
飲みながら、なんだ、これでもいいんじゃないか……なんて思ったり。でもコーヒ牛乳ばかり飲んでいたら今度は糖尿か何かになりそうだ。それでもアル中よりはましか(笑)
深夜の公園は真っ暗で、静かだ。あたりはほとんど真っ暗闇だけれど、そんな中私はベンチに腰掛けてこの文章を書き認めている。
もし警ら中のお巡りさんが通ったならば絶対に私を放っておくまい。深夜の公園でスマホをいじっている40男など、どう見たって普通ではない。うむ、身分証明書の一枚でも持ってくるべきだったな。
以前住んでいた中野なら、たといこんな時間でも人の姿が絶えることはなかった。私自身の状態も今ほど酷いものではなく、世の中は賑やかしくそれなりに華やかだった。どこにでも、いつでも人がいて、私を含む世界は生き生きと躍動していた。
今は違う。
私は他人が目もくれないような小さな淀みに沈殿した堆積物の一部となった。いつの間にか成り果ててしまった。今それに気づき、その淀みから抜け出そうと足掻き始めたところだ。
ネットでもなんでも少し調べてみるとわかることだが、重度のアルコール依存性から抜け出すことは、一人の力では非常に困難らしい。場合によっては命に関わるともあった。
私のアルコール依存の程度は客観的には不明だけれど、まずはパートナーや両親、友人の力を借りて立ち向かってみるつもりだ。その一歩目は昨日、踏み出すことができた。
今日も、明日も、その次も、日々淡々と喜びと感謝に満ちてひとつひとつ積み上げながらこの淀みを抜け出したい。
しかし、どうしてもダメなのなら、然るべきところに身を預ける他ないだろう。でも、自分がそこまでの状態ではないと信じたい。信じて戦うつもりだ。
そういえば、断酒会というのがあるらしい。いろいろ調べると宗教色の強いものも多いらしく、あまり良いイメージが持てない。貧困ビジネス的な悪いものもありそうだ。よく知らんけども。
そういえば映画「コア」で、地球の大ピンチに主人公の研究者が並み居る科学者や軍人たちを前に「断酒会のようですね」なんて発言して1ミリも受けない場面があった。あのシーンは良かった。
さて断酒会。同じ目標を持つ仲間がいることは助けになると思うけれど、今の時代、ネットで代用できそうにも思う。それに参加することでネガティヴな方向に引かれそうなのも怖い。
なんであれ、することは今の自分を棚卸しして現状を理解し、断酒を志す仲間たちと話し共有することでモチベーションを保つということなのだろう。
人間には繋がりが必要なのだ。そして私にはまだ繋がりが残されている。
空が明るくなってきた。
もう暫くしたら家に戻ろう。そこには大切な家族がいる。
あ、そうだ。
私の記事に星をつけてくださった皆さま、本当にありがとうございます。