鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

ギリギリのところ

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また公園にやってきた。

 

昨日、といってもついさっきまでだけれど、本当にひどい状態で、あたかもアルコールと鬱の中に埋葬されているように暮らしてしまった。暮らした、というより本当に死んでいたようだった。

 

長い時間部屋の片隅に横たわりながら、このまま目覚めないか、目覚めたら自分が無くなっていることを望んだ。自分から死んだりはしないので、あくまで他力本願。こんなことまでも何かに依存してしまうのかと情けなく感じた。

 

私は鬱でアルコール依存性だ。そのように断じたのは自分であって、現状で何か具体的な治療などはしていない。

 

しかし昨日の体験から、もはや妥協が許される状況ではないと強く強く自覚した。意識した。いや、これまでだってそんなことは分かっていたんだ。けれども行動してこなかったんだ。

 

どこかの心理学者だかの論文で、「アルコール依存性などというものは本来存在せず、あるのは悩み依存症である。悩むことに依存し、己を悩みの中に置くことで実は安心、安定している」というようなものを読んだ。これには深く共感した。

 

とはいえ、それで私の今の状況が何か改善されるわけではない。本質的な問題はそこではないんだ。己と深く向き合い、その中で理解や思考が深まるのはいいことだと思うけれど、そのこと自体は自分を取り巻く世界を直接的には変えてくれない。生に彩りを与えるものは、いつだって具体的な行動なのだ。

 

 

そういや少し前にブログ村とかいうリンク集?に登録し、断酒している方たちや鬱に苦しむ人たち、色々なの記事を拝読した。

 

私など擦り傷程度と思うような、重い病と闘う方がいくらもおり、しかしそれでも前向きに日々を過ごしておられ、その、生の中で綴られた生き生きとした文言の中に私は強い感動を覚えた。

 

「下と比べても意味がない」なんて言う人もあるだろうけれども、他者と己を比較することに意味はないことは十分にわかっている。

 

けれども心や身体の病に対し、あるいは人間関係などに対し、上や下なんてものはない。誰だって、軽重問わず己の不調やうまくいかないことというものは辛いのだ。

 

私は今、かつて想像すらし得なかった気持ちが理解できるようになった。実際はわからないが、少なくともそう思えるようになった。それはなんであれ病み疲れ沈殿した堆積物としての私の人生が醸成した産物であり、再び立ち上がって自立したならば大きな財産になるだろう。

 

廃墟のような、牢獄のような、墓場のようなこの場所。かつてこの場所に居て同じように苦悩し、その後立ち上がり未来に向け歩んでいる先達と出会いたい。言葉を聞きたい。健常へ至った足跡を知りたい。

 

遠雷がすごい。

間も無く雨が降るのだろう。まだここにいたいけれど、そろそろ戻ろう。都内ではあるものの、ここはほとんど埼玉だ。雨とか本当に凄まじいのだ。

 

まぁなんであれ、アルコールに逃げたい、アルコールから逃れられないでいる私は確実にここにいる。それを認めた上で、私はアルコールから離れなくてはいけないんだ。

 

件のブログ村、断酒◯日目、のような記事を何年も更新されている方がある。きっと物凄い体験の中から今を生きているだろうな。

 

私は甘い。

だってまだ酒とうまく付き合っていけるとか思っているんだもの。絶対ダメと思う自分と、なんか言い訳がましく酒にすがる自分が並存している。そして、どちらが正しいか、分かっている。

 

ともかく、甘えたこころと肉体を立ち上がらせ、躍動させるものは他ならぬ私自身だ。

 

動け、動け。

私はまだ生きているじゃあないか。

 

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