鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

職質受けました

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そりゃあこれだけ毎晩深夜の公園で過ごしていれば、遅かれ早かれ職質のひとつも受けるでしょうよ、と。
 
もっとも職質とは言っても、何か物騒なことやいざこざなんかは何もなく、単に私が真っ暗な中ベンチに横たわっていたら、通りかかった警ら中のお巡りさんにライトで照らされつつ「お兄さん、大丈夫ですか?」と声を掛けられる、という事案が発生したというだけのことだ。(こうして文字にするとより一層滑稽だな)
 
この若く優しげな雰囲気を持った警察官の問いかけに対し、私は自分が大丈夫であること、近くに住んでいてよくここに来ていること、自力で帰宅できる力があること、そして近隣地域の安全に対し害がないことを速やかに説明した。
 
彼は私の説明を一通り聞き終えると、名前も住所も確認せず、ではお気をつけてと言い残して去っていった。中野に住んでいた頃にも職質は度々受けたが、これほど牧歌的であたたかな職質を受けたのは人生初である。彼とのやりとりは他人とのコミュニケーションや刺激に飢えていた私の心を優しく満たした。小平市万歳。
 
やはり誰かと会話することって素敵だなぁ、大切だなぁ、と私は不意に訪れた思いがけない他者との触れ合いにひどく感激した。いや、まぁ職質なんだけども。
 
今日、母にメールするというアクションを起こせた。そして母と2往復のやりとりをし、私の今にしばらくぶりの波が起きた。何か具体的な動きをし、現実からレスポンスを受けたのは久しぶりのことだ。それだけでも少し嬉しかったのだが、さらにお巡りさんがやってきて、私に声を掛けてくれたのだ。これを慶長と言わずなんと言おう。
 
……なにか変だが、事実、および正直な気持ちを綴っている。
 
職質後、一応速やかに帰宅し、今度はパートナーとたくさん話をすることができた。とりとめもない内容ではあったけれど、互いに横たわりながら交わした会話には何かしらの安らぎと、強い癒しがあった。パートナーは柔らかく大きく、ひたすら私のことばを受け止めてくれた。
 
日曜には母と会える。
きっとこの一歩から社会とのつながりを取り戻してゆける。私はもとより一人ではないんだ。
 
普通に向かって、勇ましく前に進もう。
 
それにしても斯様なありさまの中で受けた思いがけない職質からこんなに力をもらうとは思いがけないことだった。
 
1年前の私がこの記事を読んだなら、その第一声はなんだろうか。多分「馬鹿か(笑)」とか「とりあえずなんでもいいから働けよ(笑)」とか、そんな感じだろう。
 
まったくその通りだが、もし1年前の私が目の前に居たなら、これだけは伝えたい。夜の公園はいいものだぞ!と。
 
ものすごく静かで、暗くて、広く心穏やかな、どこまでも続く空間の一部。他者は居らず奔放な広がりの中で静かに己と向き合える。ここにはお巡りさんはいるが、口裂け女とかテケテケとか呪怨のヌルヌルした怖いものみたいなのはいない。しかも常に入場は無料。
 
深夜の公園のベンチは、なんとかして現実に復帰したい者にとってのリスタート地点として素晴らしい場所なのだ。女性にはお勧めできないけれど。