鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

子猫と公園とうつ病テスト

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午前2時過ぎ。こんな時間だけど、ふと目が覚めたら、子猫が母猫を呼ぶような声が外から聞こえてきたので外に出た。愛猫も声に反応して鳴き返したりしていたし、まず猫に間違いないだろう。ベランダに出て耳をすませたが、どこぞで男女の夜の営みが盛大に行われているというわけでもなさそうだ。
 
これは運命の出会いかもしれない……なんて思っていそいそと外に出て、鳴き声のする方向に耳を澄ませた……が、ほどなくその声は止んでしまった。母猫が来たのか、それともわたしのように声に誘われて出てきた誰かに拾われたのかはわからない。
 
ずっと鳴いていたのに、出るなり鳴き止むなんて……縁がなかったか……ちょっと肩を落としてコンビニに入った。月曜発売の雑誌がたくさん、並んでいた。新しい週が始まるんだ。
 
子猫、大丈夫かなぁ……などといろいろ考えながら少し歩き、気がつけば深夜の公園おじさんふたたび。でも、以前のように盲となって沼地の底に呆然と座り込んでいるような心境ではなく、極めてニュートラルで軽快な感じ。夜風が気持ちいい。
 
今、こころの状態はかなり良いのだと思う。あと少しで世の中をバンバン叩いてレスポンスを楽しんでいたころの自分を取り戻すことができそうな、そんな予感がする。(逆に言うと、気持ちが明るいだけで特に何もしていないのだけれど……)
 
結局、今に至るまで心療内科の受診は受けていない。鬱と判断され、薬を処方してもらったら楽になることもあるのだろうけれど、ガンとかケガと違って、心の病というものはなんだか正体が明らかでない感じがして、わたしはこれに該当することがとてもこわいのである。シュレディンガーの猫じゃないけれど、病名が確定しない限り、わたしはその病ではないんだ……みたいな。子供か。
 
そういえばパートナーが以前持ってきてくれたうつ病のテストみたいなのがずっとリビングにある。こわいのと、回答をひとつに絞れない自分がいるのとで、結局やっていない。例えば「自分なんて価値がない。すぐにでも死んでしまいたい」という質問に対して、「はい」、「いいえ」では答えられないのだ。
 
価値がないと思う自分もいるし、そんなことはないと思う自分もいる。死んでしまいたいとは思わないけど、消えてなくなりたいとは思うときもあった。死ぬことと消えて無くなることって社会的には同じなのでは……?うーむ、ちょっと違うんだよなぁ。死に向かうスタンスが。ともかく自分の中にある相反する意識が、このテストに答えることを難しくしている。
 
悪いほうの考えで答えればうつ確定、しかし良いほうで答えたらうつではなさそう。もしかしたら、こうした葛藤のようなものがあるうちは、まだ大丈夫なのかな……そんなことを考える。
 
子猫ちゃん、また鳴いてないだろうか。もう少し探してから、部屋に戻って寝よう。
 
パートナーはまだロングスリープの流れにあるようで、昼間少し起きていたけどずっとお布団。わたしはその間に二郎で撃沈。この普通ではないふたりの暮らしは、わたしは嫌いではない。なんとかしなくちゃではあるけれども……。