公園おじさん、ザ・ファイナル?
なん度めか分からないが、本日もまた夜の公園に来た。なんかもう笑ってしまう。どれだけ浮世離れする気なんだ、私は。(笑)
今は21時より前なので、パートナーは起きており、明日は月に一度の心療内科に受診しに行く予定であることを聞いた。私は予約の時間、出発の時間を確認した。
このような場合、私は非常に強い動機と行動力、強い義務感でもって彼女の予定がつつがなく進むように具体的行動をすることができる。
不思議なことに、己のことは満足にできなくとも、パートナーのためにはわりかし細やかに動くことができるのである。そういうときの私は客観的に見ても極めてまともで、自分なりの配慮や優しさに満ち、常人並みにしっかりと動いていることが認められる。
「とても得難い、唯一無二のこの女性を幸せにする」ために私は動けるのではないか、と思う。しかしこのような長期的なヴィジョンに基づいた行動は、厳密に言うと他者のためというより、自分のための行動である側面が強いせいか、私は相変わらず動けないでいる。
このあたりが今の停滞した、暗く重い状況の突破口なのではないかと考えている。いつからだろうか、いつの間にか彼女は私と同じ空間の中で自分と同一化されたような存在として認識されるようになっていた。社会との繋がりは私と彼女との間にも確かにあるんだ。私の人生においてパートナーとして生きていてくれる人がいるということの有難さにはいつも感謝しているけれども、どのような面から見ても本当にただただ感謝していますとしか言いようがない。
この感謝を行動に変えて、歩み出せないものだろうか。なんだかできそうな気がする。
さて本日、パートナーから借りた三島由紀夫の『仮面の告白』を読了した。読み終えたよ、と告げると、パートナーは「どんな話だった?」と質問し、私は自分なりに物語の概略と感想を述べた。
そのあとは永井荷風や太宰治の作品についてや、青年時代の私が作家を目指して日本文学の文脈をなぞっていたことやその必要性、あるいは難解な表現を多用する昭和の作品について、また現代文学の表現について話した。とても楽しい時間だった。
私は己のなかの知的な部分が、初夏の青々とした柔らかな風に揺さぶられるような気持ちを覚えた……なんて書くと三島由紀夫風かしら。(笑)
些細なことだか、ひとつ完了することができた。私は明日、次の何かを始められよう。
ありがとう、見守ってくれて。この公園通いもそろそろ終わりにしなくてはね。