母との再会まであと半日
その事実がなんだか恐ろしく、心が落ち着かず、また公園に来た。いや、そんな理由ではないのかもわからない。半ば習慣にもなっていることでもあるし。
なにしろこのブログ、読み返してみると、ほぼ公園の写真しかないのだ。開設以来、記事の9割は公園で書いている。
夜の公園は静かで、一応は外界にいるということが何だか嬉しい。オヤジ狩りとか未知の怪物による攻撃とか、さまざま危険はあるけれど、公園通い自体は依存症や鬱とは比較するに及ばない穏やかな趣味だ。
母に会うこと。
もちろん楽しみでもあるのだけれど、肉親にこんな現状を見せることは本当に情けなく、悲しい。
いや、こんなの見せられるほうがもっと辛いに決まっている。みな懸命に、しっかりと日々を重ねているのに、私のせいで辛く重い気持ちになるのだ。私は本当に人生を通じて親不孝者でい続けている。
せめてもの救いは、まだ立ち上がって恩返しをする機会が残っていることだ。私はパートナーや猫たち、その周りにいる近しい者たちを支える強い背骨になりたいんだ。そして、世の中において有益な存在になりたいんだ。そのために考え、行動し、人との繋がりを恐れなく網羅しながら闘っていきたいんだ。
お母さん。
瞼の母、なんていうが、私のまぶたの裏にも母の姿がいつもある。
明日駅まで迎えに行って、姿を見た途端、泣き崩れたりしないようにしなくてはね。どのみち、明日1日の間で、なにかしら制御できない感情がどこかで湧き上がることがあるかもしれないけれど、それにはなるべく素直でいようと考えている。
なんにせよ、母と会うことは大きな変化だ。2時間もかけて来てくれる母に、現在の自分を素直に見てもらおう。
もう少ししたら帰って休もう。
朝、風呂と部屋の掃除は絶対にしないといけないし。
パートナーは、こんな私を今日も優しく送り出してくれた。母と会うことも穏やかに受け入れてくれた。
私はとても恵まれているんだ。
あたりを見回してみろ、敵なんてどこにもいないじゃあないか。味方しかいないじゃあないか。