鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

やらないこと。やり続けること。

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この鬱&アルコール依存症ブログ、更新はいつもiPhoneからしている。今日は珍しくPCから。ずっとデザインやグラフィックの仕事をしてきた関係で、わたしのデスクトップ環境は見た目かなりそれっぽくなっている。ミドルタワー型のWindowsマシンに27インチのデュアルモニタに大型のペンタブレット、プリンタ2台にMacBook Pro、その横にはiPad miniiPhoneが並んでいる。ううーん、デザイナーっぽい!

 

でも今使っているメインPCは性能が猛烈に普通なので、グラフィックソフトなどの動作は昨年秋に突然壊れるまで4年くらい使っていた旧PCよりも遅い。「ああ、あそこでケチらなければよかった……」と後悔している面もあるけれど、なにしろあの頃から今に至るまで収入らしい収入がないのだもの。節約はやっぱり正しい選択だった。何か始めてお金が入ってくるようになったら、またちゃんとしたスペックのものを買えば良い。今は身の丈にあった暮らしを心がけなくては。

 

イラストレーター志望の若い子たちなんて、信じられないような低スペックマシンと猫の額より狭いペンタブレットしかなくたって、良い作品を日々どんどん生み出している。スペックが充分でないことなんて何も生み出せないことの言い訳にはならない。納期が目前に迫った商業の仕事をしているわけじゃないんだから、動作がちょっとくらい遅くたって、待てばいいのだ。今は時間あるんだから。待ち時間で新しいアイデアだって練ることができる。

 

何かをすれば、何かが生まれる。何かが始まる。跡が残る。コロン。

また何かをすれば、2つ目の何かが生まれ、2つの「やったこと」を結んだ線(=道)ができる。何かをし続けることで、道ができあがり、その道の両側には自らが生み出した有形無形の成果物が建造物のように立ち並んでゆく。その風景やありようは、あとからその道に入って来たり、迷い込んできた人たちを刺激し、助け、時には救い導くことだってある。もしいつか倒れてしまって行き止まりになっても、誰かが志を継ぎ、道は色や雰囲気を変えながらいつまでもいつまでも続いていく。

 

世の中はそうした道が縦横無尽に走ってできている大きな街のようなものなのだろう。時に交差し、合流し、並走し、広くなったり狭くなったり、荒れたり整備されたりしながら、形なき人間の社会やこころの世界を開拓しつなげてゆくのだ。

 

今、わたしの道は完全に行き止まりになっている。でも、それはわたしが道を作ろうとしないからだ。大地は今もわたしを拒むことなく目の前に広がっている。道具だって高性能ではないけれど手元に揃っている。道の作り方だって知っている。あちこち病んではいるけれど、一応は五体満足だ。ほれ、あと少しじゃあないか。

 

道作る人々は、立派な道具がなくたって、そのへんの枝や石を使って進んでゆく。枝も石もなければ己の身体のみで切り開いてゆく。情熱のため、夢のため、生活のため、志のため……理由はさまざまだけれど、道を作り続けることを決してやめない人間たちだ。

 

道を作れなくなった人、作らなくなった人にもそれぞれ理由がある。それは誰かが取り沙汰して責めるようなものではない。座り込んでしまうことは罪ではない。だから、誰かが時機を見て優しく寄り添い、しばらくの間一緒に道を作ることも、ときには必要だ。

 

今は両親やパートナー、猫たち、そして親しい友人たちが一緒に歩いてくれている。ときおり立ち上がって、目の前の開拓地をささやかに掘り均(なら)したりもするようになってきた。このブログだって、なんてことはないものだけど、ひとつのかたちだ。だって今、あなたが読んでくれているもの。

 

膝の上で丸くなっているニャンの体温が上がってきて、わたしは軽く汗ばんでいる。このあとはグラフィックソフトを立ち上げて、何かしてみよう。