鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

道を譲って舌打ちされるのはおかしくないですか?

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昨日の出来事

 

昨日、買い物をして家に帰る途中のこと。 

買い物袋を3つ提げて幅員の狭い歩道を歩いていたら、対面からママチャリに乗ったおっさんが走ってきた。わたしもおっさんだけれど、ママチャリに乗ったおっさんはさらに20くらい上のおっさんだった。

 

この場合、おっさんは自転車を下りて歩行者と安全にすれ違うか、自分が車道に下りるのが正しい。少なくともいったん停止して、歩行者が安全に通りすぎるのを待つべきだ。おっさんの場合、そのまま車道に降りると逆走になってしまう状態だったので、停止するのが正しい選択ではなかろうか。

 

しかしおっさんはスピードを落とすこともなくこちらに向かってきた。わたしは仕方ないので壁際に寄って平べったくなって自転車を通そうとした。多少「このやろう……」という気持ちもあったので相手の目を見ていると、すれ違いざまに不快感を露わにしながら「チッ」と舌打ちしたのだ。

 

わたしは頭に来て、おっさんの自転車を止めた。 

 

「ちょっと待ってください。道を譲った人間に対して舌打ちってどういうことですか?そもそも自転車は歩道じゃなくて車道を走るものですよ?あなたは何歳ですか?小学生だって相手が避けたら「すみませーん」って言って通っていきますよ。それがなくたって会釈ぐらいします。少なくとも今わたしがあなたに舌打ちされる理由はないですよね。一体どういうつもりですか?」

 

おっさんは黙って俯いていた。突然の呼び止めと、わたしの剣幕に驚いているようだった。先ほどまでの傲慢な表情はすっかり消えていた。怒鳴り返されるかと思ったけれど、しゅんとしてみたらなんだか弱弱しいおっさんだった。

 

「こんな狭い歩道をろくに減速もしないで歩行者とすれ違うのは危ないと思いませんか?いつもこんな危険な走り方してるんですか?」

 

「……すみません」 

 

「あなたは身内から何かしてもらったとき、いつもそんな不快そうな顔で舌打ちを返すんですか?違いますよね?笑顔でお礼、言いますよね?」

 

「はぁ」

 

「だったら外でもそうしてください。なんで舌打ちしたんですか?」

 

「いや……なんとなく……」

 

「あなたが誰かのために何かしたときに、舌打ちされたらどう思います?不愉快だと思いませんか?わたしはとても不愉快でしたよ。」

 

「……」

 

「自転車は本来、車道の左端を走るものです。歩道では歩行者が優先です。たとえ優先でなくとも、弱いものを優先するのが普通でしょう。それはあなた自身を守ることにもなりますよね。わかりますか?」

 

「……」

 

「結構です。もう行ってください。わたしはこんな狭い道で減速もせずに向かってくるあなたを通すために避けたのに、嫌そうな顔で舌打ちされたのが我慢ならなかっただけです。」

 

「すんませんでした……」

 

「いえ、こちらこそ突然まくし立ててすみませんでした。」

 

そう呟くように言い残し、おっさんはふたたび自転車に乗って走っていった。ガードレールの切れ目のところで車道に降りて左側を走っていった。わたしはその様子をじっと見ながら、面倒くさいことしちゃったなぁ……と反省した。でも、我慢ならなかったのだった。

 

ぶっ飛ばされなくてよかった……。

 

謝意を表すことの大切さ

 

「他人に謝意を表すこと」をしない(できない)人がやたらと多くなっている気がする。道を譲ってもらう、避けてもらう、ドアを開けておいてもらう、といったときに、お礼はおろか会釈すらしない人。それどころか、まるで敵を見るような表情で睨んでくる。挙句の果てに舌打ち。どうしてこうなってしまうのだろう。

 

ほんの一瞬の動作であったとしても、他人が自分のために何かをしてくれるということには基本的に謝意を表して良いと思う。もちろん、頼んでもいないのに勝手におかしなサービスに申し込まれる、なんていうのには礼を言う必要はないけれども、日常のちょっとした気遣いや思いやりから生まれる行動にはきちんと謝意を表したい。

 

「ありがとうございます」、「すみません」、「どうも!」なんでもいい。言葉に出すのが苦手なら、軽くでも会釈すればよい。誰かが身体をよじって道を開けてくれることは、彼らの人生のうち何秒かをいただくということだ。そう思ったら、自然と会釈のひとつもできるのではないだろうか。

 

別に道の上に限ったことではない。どんなシーンでも同じだ。

 

わたしもコンビニに入る際、入れ違いに出てきた若いカップルにドアを開けてもらっていたのに何も言わずに入ろうとしたら「最近のやつは礼もいえねえのかよ」と聞こえるように言われたことがある。会社で嫌なことがあってイライラしていたので、ついスルーしてしまった。とっても恥ずかしかった。自分より若い人間に「最近のやつは」と言われたことに対しては違和感があったけれども(笑)

 

わたしは「ありがとう」ということばが好きだ。もちろんこれを発することも。

死ぬまでの間にできるだけたくさん使いたいと思う。たくさんたくさん、ありがとうが言えるような人生を送りたいと思う。

 

道を譲ると弾けるような笑顔で「ありがとう~ごめんねぇ!」って言ってくれるおばちゃんや、目を伏せて「すみません……」と呟きながら通る若い女性、みんなで声を揃えて「すみませーん!」なんて言いながら走っていく学生さんたち、軽い会釈ですれ違う男性。程度の差はあれ、細やかに謝意を表すことは、ひとの社会を滑らかに回す原動力になると、わたしは思う。顔見知り以外は人ではない、みたいな考え方は世の中をぎこちなくしてしまう。

 

本日のまとめ

 

あんまりにも腹が立ったので(あとぶっ殺されなかったので)、愚痴っぽいことを書いてみました。いつもなら「あんちくしょう……」と思うだけなのですが、昨日はなんだか耐えられなかった。つまらない口論で刺されたりする昨今、わたしにもおっさんにも何ごともなくてよかったです。

 

「お金を払ってるんだからいただきますは言わなくていい」なんていうモンペアがいるそうです。「いただきます」をどこに向かって言うものだと習ってきたのか。教育を学校任せにする親。地域が子供を育てられなくなったこと。子供に「暗いからもう帰りなさい」と声をかけただけで通報される世の中。

 

教育について、日本は国を挙げてきちんと見直すべきときが来ています。