鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

うつの水際で踏みとどまる

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昨日より今朝まで、陸に打ち上げられたヘドロみたいなひどい状態だったのだけれども、なんとか踏みとどまることができた。突然叩き込まれた真っ暗な精神状態のなかで、前向きな自分をわずかにでも残す(取り戻す?)ことができたのは、パートナーや猫たちのおかげだ。
 
独り暮らしだったら浮かび上がるのは難しかった。おそらく数日はろくな食事も摂ることなく膝を抱えて過ごしたりしたことだろう。その間にこの前みたく倒れたりしたらどうなってしまうかと考えると、家族のいる今の状況は本当にありがたいと思う。
 
この感謝の気持ちに対して、わたしは行動で答えたい。きちんと仕事をして稼ぎを得、大切な家族の力になりたいのだ。そして、仕事をする中でかつての日常を、自信とともに取り戻したい。
 
けれども、上手くできないでいる。外に出れば皆ごく当たり前に働いていて、大勢の人々がいろいろなストレスを抱えて日々頑張っている。わたしはそこまでたどり着けないでいる。情けないけれど、これはれっきとした事実だ。こんなに感謝しているのだから、感謝だけを原動力に踏ん張れないものだろうか……。
 
わたしは自分のスキルに自信を持っている。そして、同時にまったく自信を持てずにもいる。これまでに磨いてきたスキルや経験は今もここにある。一年あまりのブランクでいくらかは錆びついたはずだけれど、確かにここにある。
 
とにかく下を向いてうずくまっていても何も変わらないし、仕事も得られないし、お金も入ってはこない。今こんな精神状態ではあるけれど、ちょっとずつでも日々確実に何かを積み重ねていかなくては。
 
ときどき、わたしは鬱という名前の被り物かなにかを着込んで安心しているだけなのでは……と思う。甘えているだけなのではないかと。
 
昨年までのわたしをよく知る古い付き合いの友人などは、わたしを指して「鬱とは最も遠い人間」なんていう。いいえ、いま鬱で……なんて言っても多分信じてくれないだろう。ポジティブで活動的、そこそこ自信もあり社交的な、頑張って若作りしている変わり者のおっさん。わたしはそういうキャラだったのだ。
 
なんとかそいつを表に引っ張り出さなくてはならない。引っ張り出せれば、あの目立ちたがりは簡単には引っ込まないだろうから。
 
今日は活力の復活を期待して、真っ赤なポロシャツを着て出てきた。これから100円ショップで必要な買い物をして、天気と相談しながらぶらっと気分転換に歩いて、帰宅するつもりだ。
 
夜はまた麻婆豆腐を作る予定。こないだ作ったばかりなのだけど、材料を買ってしまったのだ。パートナーは楽しみだー!なんて言ってくれる。やさしい人だ。
 
まだ、大丈夫。
 
画像のペヤング復活の日のもの。落ち着いたらまた食べたい。

突然のうつ到来

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突然、鬱の波が来てしまった。理由はわからないのだけれど、結構重いようだ。いきなりなぜ……このあいだの鬱ブログに引かれた影響なのかもしれない。
 
まだこうして記事を書けるのだから救いはある。けれども、きつい。昨日は昼前に出かけ、そこで鬱に転じ、気付いたらあたりが暗くなっていた。ずっとうつむいてベンチに座っていた。なんとか帰ってきたものの、その後は全くダメ。ぐったりと横たわり、午前2時過ぎに目覚めた。
 
頭が重く、心も目も死んでいる。
まずいな……いやな流れだ。ここから切り返せるか……。こんなではパートナーにも悪い影響を与えてしまう。
 
負けるものか。

蟻が噛んでくるんですよ

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公園に座ってスマホをいじったり、ぼんやりしたりしていると、足にチクっと痛みを感じることがある。なんだろうと見てみると、蟻が噛み付いている。結構小さな蟻でも蚊に吸われるときよりも痛みが強く、思わず「あ痛!」なんて口走ってしまうほどだ。
 
このやろう、わたしをバラして巣に持ち帰る気か……なんて、怒りつつ振り払う。しかしまた数分ののちには噛まれる。裸足にサンダルなのもよくないのだなとは思うが、ともかく蟻たちはわたしを巣に持ち帰ろうと懸命に努力する。
 
わが家の水槽では最近ドジョウが死んだ。死ぬ前の息も絶え絶えの状態で、すでに大量の川エビたちが群がり、まだ息のあるドジョウをついばんでいた。生きたまま食べられるってこわいね……なんて、パートナーと話しながらも熱心に見守った。翌日、ドジョウはほとんど骨だけになり、しかし残った肉には川エビたちが殺到してモリモリと食べていた。
 
そんな様子を見たからだろうか、たびたび蟻に噛まれるうち、「もしかしてわたしはもうすぐ死ぬのでは……」と思った。わたしは今生きているけれども、実際は少しずつ死に始めていて、それで蟻たちに食料として認識されていると。まるであのドジョウのように、死の直前から少しずつ分解されて自然に帰っていく運命なのではなかろうかと。
 
考えすぎだとは思うけれど、蟻にたかられたりハエに止まられたりするのはなんだかショックだ。死ぬの?腐り始めてるの?みたいな気持ちになる。
 
しかし考えてみたら、昔ゲイの方に熱烈に言い寄られたときのほうが困ったので、やはり昆虫のほうが扱いが楽でいいなぁ、なんて思うのだった。
 
またゲイバーに遊びに行きたい。

ヤフオクで腕時計落札!

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これまでに入札すること158件。そのすべてにことごとく敗北してきたわたしに、ついに勝利の時がやってきました。イギリス軍のミリタリーウォッチ(1970年前後のもの)が落札できたのです。しかも、ほとんど争いはなく、あっさりと安価で落札してしまいました。
 
先日、ほぼ同じ時計でわたしは勇ましく戦い、結果落札価格4800円で敗れ散りました。5000円まで出してもいいと思っていたけれど、あと一歩が踏み出せなかった。たったの2、300円で躊躇したがためにわたしは敗れたのです。屈辱だった。
 
決断力がなく、勇気もなく、ここ一番の勝負で勝てないわたし。なんて情けないのか!もはや鬱もアル中も吹き飛ばして一升瓶を次々にラッパ飲みしながら軍艦マーチを熱唱し日本海溝のどん底まで一気に沈み込んでそのままダイオウグソクムシの養分になりたいとまで思った。ちなみにダイオウグソクムシはエビの味がして美味しいです。
 
腕時計といえば今どきは電波時計だとか、スマートウォッチだとか、高機能なものがあたりまえ。そんな世の中で50年くらい前の手巻き式腕時計を嗜む。この満足感は格別でありましょう。アップルウォッチ!?あんなダサいピロピロうわついた不必要に多機能な時計とも呼べぬシロモノなど海に投げ捨ててしまえ!!(嘘です本当は欲しいです)
 
まぁなんでしょう、あれもできる、これもできる、といった高機能な腕時計型ガジェットもそれはそれは魅力的ですが、「おおよその時間しかわからない」時計っていうのも同じくらい味わい深いように思います。しかも手巻き。いまどき手巻きなんて寿司くらいしかありません。
 
そういえばわたしは時計の他にもビンテージの物を持っていました。それは革靴です。英国軍のサービスシューズです。サービスシューズというのは、支給品のことです。軍人や郵便局員など、公務員たちが通常の仕事をする際に使ったり、式典などに出る際に履くためのもので、一般的な利益を得るための商品としての靴とは違い、採算度外視でしっかりと作られているんだそうです。
 
実際、手に取るとしっかりしているなぁ……と感じます。重くずっしりとして、重厚な作り。履き心地も抜群です。サービスシューズには郵便局員のためのものや、警察支給品など、いろいろなものがあり、マニアの間では人気があるそうです。
 
新しいものもいい。
古いものもいい。
 
いろいろなものを見て知って、豊かな人生を送りたいものです。この世には素晴らしいものがたくさんあるのです。

自転車とコミュニケーション

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少し前に仲間たちと荒川サイクリングロードを走った。サイクリングロード沿いには花が咲き乱れ、緑も濃く豊かで、たくさんの命が春の息吹を受けて賑やかに息づいていた。
 
虫たちもわんさかわんさと飛び回り、ロードバイク乗りたちは専用のサングラスで怠りなく目を守っている。喋れば口にも虫が入る。あまり積極的に食べたいものでもないので、虫が多く飛んでいるところではみんな口数が減る。
 
ロードバイクというと、乗らない人からすると危険運転だとか、暴走野郎だとか、無謀で傍若無人な街の厄介者という印象を持っている人もいるかもしれない。しかし、実際には競技レースなどに出場するようなロードバイク乗りの多くは、非常に意識が高く、ルールを厳守する人がとても多い。悲しいのは、そういった意識の高い自転車乗りと、そうでないただの「ロードバイクに乗っている人」が見た目上区別がつかないことだ。
 
わたしは交通ルールはかなり厳格に守っている。自転車に乗っていようといまいとだ。それでも、ルール無用の自転車乗りにはヒヤッとさせられることがしばしばである。
 
めちゃくちゃな無謀運転をするのは、なんといってもママチャリだ。逆走はもちろんのこと、テールライトを前に付けたり、歩道を我が物顔で爆走しベルも鳴らさずに歩行者にハンドルを当てながら追い抜いたり、無灯火で音楽を聴いてスマホをいじりながらパンまで食っていたりとやりたい放題。歩道で鉢合わせたとき、こちらが道を譲って待っているのに、睨まれた上舌打ちまでされたりして。あまりのことにびっくりして、ようやく腹が立ってきた頃には相手はもういない、なんてこともしばしばだ。日本人が礼儀正しいとか嘘でしょ……外人に対してはそうかもしれないけども。
 
警察は原チャリばかりターゲットにしているけれど、しっかり法整備してママチャリをターゲットにすればいいのに。かなり儲かるのではなかろうか。
 
自転車のみならず、どんなものでもそうだけれど、要は使う人次第である。みんなが心を穏やかにして、譲り合いの精神を持ち、思いやりの心を持って暮らすことができれば、どんなツールだって素晴らしい存在になるんだ。
 
どんなものでも同じだ。
譲り合いは日本人の美徳だといわれるけれど、最近は譲ってばかりいると、それにつけ込んだモラルのない連中の餌食にされる……なんて面もある。嫌な時代だなぁ。
 
マナーの良い人たちも依然としてたくさんいる。そういう人たちとの間で、気持ちの良い譲り合いを続けたいものだ。他人に道を譲ってもらって、お礼どころか会釈の一つもできない人などに腹を立てるだけ無駄なんだから。

新ブランドとうもろこし、ゴールドラッシュ見参。

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朝5時。
目が覚めてしまって、どうにも眠れないのでゴミ出しついでに朝のお散歩。今朝もすごい涼しい。寒いくらいだ。本当にもうすぐ7月なんだろうかと思う。
 
昨夜はゴールドラッシュという品種のとうもろこしをパートナーと食べた。圧倒的甘みを誇るしあわせコーンに対し、このド派手なネーミングのとうもろこしはいかなる体験をわたしたちに与えてくれるだろうか。
 
グラミー賞の授賞式よろしく、超高級スーツを纏って味覚の赤じゅうたんの上を闊歩するような食体験をわたしたちは望んでいた。だって、ゴールドラッシュですから。現場では屈強な男たちが金掘りまくり、夜は飲みまくりの喧嘩しまくりなわけです。美味しくないわけがない。
 
というわけで、パートナーが今回も美味しく焼き上げてくれました。さっそくふたりで手を合わせていただきます。パクリ。……甘みはしあわせコーンに軍配。しかしゴールドラッシュも旨みは豊かで、醤油の風味と香ばしさを純粋に堪能したいならば、こちらが向いているかもしれない。
 
食べ比べてみて、わたしたちはしあわせコーンのほうが好きみたいだということがわかった。甘みはとても大事。しかしどちらも旬の、しかも採れたての野菜であり、おいしい。
 
それにしても、同じとうもろこしでもこんなに味わいが違うなんて。とうもろこし素晴らしい。おかげで我がとうもろこしブログも今季絶好調である。
 
昨日、うつの方のブログ記事を読んで、暗黒面に堕ちそうになったことを書いた。どうもその影響がまだ残っているようで、日常の細々とした行動の中にうつのとき独特の行動(何も考えず、何も見ず、動きを止めたまま一箇所にとどまってぼんやりする)が出るようになった。心も少し重めだ。間違いない、ここは踏ん張りどころだ。しっかり!
 
パートナーはうまく眠れないらしく、目を閉じて横になってはいるものの、足をパタパタさせたり、しきりに寝返りを打ったりしていた。「うまく眠れないね」と話しかけると、パートナーは「うん」と答えた。
 
わたしは昨夜、吐き気がひどかったので夕食後すぐに休んでしまった。なので3時か4時には目が覚めて、そこからは目を閉じて横たわっているだけの状態だった。で、その状態に飽きて、出てきた。
 
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こんな早朝だけれど、世の中は動き始めている。仕事に向かう見知らぬ人の姿は、わたしの存在がまだこの社会にあることを自覚させてくれる。
 
小平に越してきてからというもの、わたしは出勤というものをしたことがない。しっかりと自分を立て直して、毎朝眠い目をこすりながら出勤する自分を取り戻したい。そこへの道は、おそらく見えている。

旬の野菜フェスティバル!!

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今朝は寒かったですね。
もう6月も終盤だというのに、夜から朝にかけてのこの肌寒さはいったいなんなのでしょうか。
 
しかし寒いということは、体温を維持するためにカロリーを消費するので、結果的にダイエットになるというメリットもあります。わたしは今のところ平均体重ですが、お腹周りはゆるゆるです。シルエットは随分スリムになりましたが、その内容はひどいものです。筋トレしなくては!目指せ細マッチョ!
 
さて、昨夜はまたしてもとうもろこしパーティーでした。しあわせコーンという、激烈に糖度の高い銘柄のとうもろこしは、神がかり的な甘みを持っており、それがまた焼けた醤油の香ばしさと相まってこの上ない奇跡のテイストを醸すのです。甘い!香ばしい!おいしい!しあわせ!
 
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さらに朝採りの枝豆。鮮度を保つため、丸ごとの状態で持ち帰ります。ひとたび茹でればたちまち部屋中に芳香が立ち込め、食べればプリップリの身は香りも味わいも濃厚で、口に含んだ瞬間に幸福に包まれます。うんめえええええ!!
 
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さらにさらに。
スナックエンドウ。さやごといただけるこれがまた絶品。まるまると太ったさやの中には枝豆に劣らぬプリップリの身。食べる手が止まりません。パートナーとふたり、夢中で食べました。
 
炭水化物はなし。
低カロリー、大満足。
旬の食材とは、なんと素晴らしいのてしょう。小平に越してきて本当に良かった。そして、パートナーの焼きスキルにも感謝感謝。あっという間に全て完食し、ふたりとも「おいしかったね!」と満面の笑顔。満腹感よりも満足感で心が満たされ、11時頃には床に就きました。
 
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明けて今日。
わたしは朝の散歩中に「ゴールドラッシュ」という品種のとうもろこしをゲットしました。今夜もまたとうもろこしパーティーです。しあわせコーンの甘さに対し、ゴールドラッシュはどんな要素で訴求してくるのか。楽しみです。
 
日が高くなってきました。
今日は暑くなりそうです。

自律神経失調とわたし

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わたしが付き合っているもののひとつに、自律神経失調症がある。文字通り自律神経がなんらかの原因で正常に働かなくなる症状で、元々意思とは関係なく自律的に体をコントロールしているものだけに、不調になると非常に難儀する。
 
わたしの場合はどうやらストレスと直結しているようで、強いストレスを感じているときに発症することが多い。つまり、うつが最もひどいときにダブルパンチでやってくる。これにアルコール依存性が加わってトリプルパンチである。
 
こうなると、体に異変が起きても、何が原因なのか見当もつかなくなる。直さなきゃ、という前向きな気持ちは死んでいるから何もしない。かつて末期寸前のガンで7カ月入院した際に、抗がん剤治療で養われた忍耐力は、少々のことではびくともしない。これが逆に災いして、体調も心もどんどんどんどん沈んでゆく。
 
幸い、どん底まで沈みきったことはない。家族がいるからだ。特発性過眠症と闘うパートナーの姿や、ちこたんやぶーぶの存在が、深い沼の底からわたしの心を引き上げてくれるのだ。
 
うつに関していえば、最近は本当に落ち着いている。けれども具体的に動くことができないのは相変わらずだ。今週はそのあたりを改善していかなければ。このまま生きていくことはできないんだから。
 
最後に、自律神経失調で手の皮がもろもろになったときの画像など載せてみようかと。さほどグロくはないけれど、気持ち良いものではないので、見たくない方はここでページを離れてください。
 
それでは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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鬱の共振

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あちこちブログを見て回っていたところ、うつの方が書かれた記事に突き当たった。
 
そこには絶望と無気力、自責、そして無。それらに押しつぶされそうになりながらも、わずかに残された心を頼りに最期のところで踏みとどまっている様子が綴られていた。
 
わたしは描かれた心境に深く共感した。それはまさしく、ほんの少し前のわたしの目の前にあったものだった。あった、と言っても、今視界の外にあるだけの話で、依然としてわたしの中にそれは存在している。そうだった。なくなったわけではないのだった。あれはいつでもわたしの目の前に戻ってこれるんだ。
 
はっ、と我に帰る。
知らぬ間に薄暗い部屋の角で座り込んでいた。iPhoneの画面にはブログの記事が表示されていたけれど、目は開いていたけれど、わたしはなにも読んでいなかった。なにも見ていなかった。1時間ほどの時間が経過していた。
 
危なかった……共振、とでも言うのだろうか。当時のわたしにあまりにも酷似した内容にすっかり引き込まれ、わたし自身が当時に戻りかけていたようだった。
 
ふと見ると傍に愛猫が寄り添ってくれていた。顔を上げてウンガ?と鳴きかけてスリスリしてくれた。抱き上げて「やばかったよー!ちこたんがいなかったら戻ってこれなかったかも……ありがとうね」とお礼を言った。ふわふわの柔らかな毛が肌に心地よかった。ちこたんは喉を鳴らして大人しく抱かれていた。部屋の入り口にはぶーちゃんが座っていた。ふたりで守ってくれていたんだ。
 
ぶーちゃんにお礼を言って部屋に戻ると、パートナーが眠っていた。近づくと目を開けて、「添い寝してやった」と言った。そういえば、わたしは朝、採れたてのとうもろこしと枝豆を買いに出かけ、帰宅してそのまま眠ってしまったのだった。パートナーは帰宅時、別な場所で眠っていたが、わたしが戻って眠っているのを見て添い寝してくれたのだろう。なんて素敵な家族。
 
もうほぼ大丈夫だけれど、わずかに暗いものが残ったのを感じる。しっかりしっかり。他人の言葉に引きずられて鬱に戻るなんて弱すぎるじゃあないか。わたしの心の松岡修造兄貴も「強くなれよ!」と言っている。しかし照英は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
 
明日からはまた平日だ。
仕事はないけれど、ちゃんと暮らそう。

激辛味噌ラーメンに挑んできました

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昨日のつづき。
辛味噌ラーメン、行ってきました。
 
朝の麻婆丼がずっしりとお腹にたまって、なかなか空腹にならないわたしたち。夕飯どきを少し過ぎたくらいになって、そろそろ行きますか!と準備を始めました。
 
ニャン達に留守をお願いして、すっかり暗くなった夜の道を、パートナーと自転車で進んでいきます。わたしにとって、この時間は至福。はっきり言って、ラーメンはこのランデブーのついでみたいなものです。
 
心地よい夜の風を感じながら、縦に並んでゆっくり走っていきます。信号で止まるたび、短く交わす会話と視線の心地よさ。パートナーがついてきているかは、自転車につけた熊鈴が教えてくれます。優しい音色のこの鈴は、道の少しの凸凹でもかわいらしくコロンコロンと鳴って、歩行者を苛立たせることがありません。「どけ!」と言われているように感じるベルとは違い、優しげな鈴の音が近づいてくることで「あっ、なんか来てる」と感じるのです。だから、自然に避けてくれます。わたしは「すみませーん」なんて云いながらその脇を通ります。
 
この熊鈴は実は歴とした自転車用品のひとつで、専門店でも販売しています。ひとつ1000円弱。
 
走るのは基本的に車道の左端です。車道が危険なときには、歩道に上がります。でも、そのときは歩行者優先。鉢合わせしたら避けて止まるのは自転車。誰も傷つけないように、自分も傷つかないように心を穏やかに保って走るのが、わたしの自転車乗りとしての信条です。
 
少し迷って40分ほどでお店に到着。
お店は混んでいましたが、席はすぐに空き、ほどなく目的の激辛味噌ラーメンが出てきました。わたしはなんと大盛りにもチャレンジ。全部で650グラムくらいあるとか……。
 
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ラーメンは1ミリから1センチまでのさまざまな麺が入っていて、とにかく麺がプリプリもちもちで美味しかった。ただ、なんだろう、「ラーメンを食べている」気分ではなかったのでした。なにか別の、おいしい麺料理を食べている感じ。
 
肝心の辛さは、歴戦の激辛戦士であるわたしたちにとっては「まったく辛くない」レベルでした。パートナーはどうやらお口に合わなかった様子で、ただひとこと、次回の訪問はない!と断言していました。(笑)
 
帰りは家の近くまで走って、近くの公園でベンチに並んで座って、お酒片手に話しました。公園は暗く静かで、ふたりの自転車のライトがチカチカと点滅していて、すごくいい雰囲気。深夜の公園おじさん+パートナー。またやりたい。
 
帰宅したら日付けが変わっていました。そこでわたしは気づいたのです。勝負時計のオークションがもう終わっていることに。
 
うわあああああああ!!!ああああああんああああわあああああああん!!はああああああん!
 
しかも、すごい安い価格で落ちてる……縁がないとはこういうことなのでしょう。まぁでも、パートナーと過ごした時間のほうがずっと素晴らしいものだし、まいっか。
 
それにしても、なかなかわたしたち好みのラーメンには出会えません。散々ふたりで食べ歩いて、何度も通っているラーメン屋さんはいまだ2軒だけなのです。
 
至高の一杯はいずこに……わたしたちの旅は続きます。