踏み出した一歩
つい先ほど、この数ヶ月会話も連絡も拒絶していた母に連絡をした。
かつてのように少しでも安心させようと軽い嘘を交えるようなこともなく、私は正直に現状と今の心情を短いメールに綴った。こんなことは初めてだ。
母はとても真面目で優秀な人だ。下ネタや下品なジョークなどは一切受け付けないなど、多少ユウモア?には欠けるきらいがあるものの、常に規律正しく、今すべきことを細やかに行ってきた人だ。そして私の母親だ。父とともに私を産み、育み、守ってくれた人だ。
母は傾聴という分野のエキスパートだ。傾聴というのはたとえば終末医療の現場や何かしらの病において末期となったような、死に向き合う人の言葉を聞くことのエキスパートだ。私は専門でないので正しくは分からないが、話を聞いて解答を出すコンサルタントではなく、会話の中で話し手が自ら救いやなんらかの答えにたどり着くよう導くのが目的なのだろうと思う。
そして私自身が何かしらアクションを起こさなければ!起こせ!動け!馬鹿野郎!根性なしのうつ病持ちが!なんて自分をさかんに鼓舞していることはこの数日綴ってきた通りだけれども、母へのメールは、私にとってひとつのアクションとなった。
両親が健在であることに幸せを覚えた。だって私はまだ、親孝行することができるんだ。