鬱(うつ)病・アルコール依存症・日々のつぶやき

2014年、うつ病・アルコール依存症デビュー。うつの波にぐっと耐えつつ、前向きな日々を送っています。読んで楽しい気持ちになってもらえたらうれしいです。

今日もまた公園に

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やって来た。

 

昨日、一昨日と違うのは、日付が変わる前に来たことくらいだ。思い立った時にはパートナーもまだ起きていたので、公園に行く旨を伝えて家を出た。

 

もう一つ違いがあった。雨が降っている。わりと強く。雨を避けて木の下にあるベンチに移動したものの、雨は木を伝り少しずつ滴り落ちてき、私の衣服を少しずつ濡らしている。

 

正常な頃の私ならば、一も二もなく帰宅しただろうし、そもそもこんな時間に公園に来たりなどしない。

 

だか今の私の心のありようはどうかというと、まったくもって静かなもので、むしろ雨粒が頭上の木の葉に当たって立てるさわさわとした音を心地良く感じている。濡れることにもストレスがない。

 

深夜の雨降る公園のベンチに佇む中年。その外観はまったくもって異常なものだ。しかし、その異常の中で安らぎを感じている私があることも事実だ。

 

今の私にとって、この暗闇や静けさ、孤独はとても心地がよい。しかし、それに埋没していてはこの先の人生を歩んでいけない。

 

明日は、もう今日だが、友人の誰かと話をしよう。少しずつ、かつての暮らし、かつての自分を今の己から切り出してゆくのだ。

 

負けたくない

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アルコール依存だかなんだか知らんが、私はこんな意味不明なドロドロしたものに負けたくない。

 

今朝、目覚めたらパートナーが 壁ぎわに座って覚醒しようと闘っていた。傍目には心を失った人間、いや、その様子はもはや人形のようであり、しかし声を掛ければ返答はある。ある程度の覚醒はしており、おそらく内なる自分とせめぎあっているのだ。私と同じだ。

 

しかし私は自分に対してそうなのと同じで、どのように手助けして良いのかわからない。大切な人なのに、決して失ってはならぬ人なのに。

 

私と彼女とが積み上げた年月はまだ僅かだ。しかしその間、私は初めて、己以外の人間が生きるために必死で足掻く姿を目の当たりにした。ただ興味のある仕事に就き、普通に生きたいだけなのだ。でもそれを病が阻む。

 

程なく、私も依存性や鬱と向き合うことになった。辛いことだったが、そのことによって彼女の苦しみはより一層、私に強く伝達された。

 

同時に、彼女と比して、己の甘さや対峙しているものの薄っぺらさも感じた。ただ私の方が少しだけ器用にいきてきただけだ。

 

なんにせよ、私は私の足で立ち上がり、家族を支えねばならない。彼女の直近の不安を取り除き、ゆっくりとでも良いから彼女に寄り添い、何かしらの力になりたい。言葉を交わし、理解し、心に、身体に寄り添い、どちらかが死ぬまで一緒に生きてゆきたい。私はあの人のことを愛しているんだ。絶対に離れたくない 人だ。

 

今の自分の状態から鑑みて、たとい大切な人のためであろうと他者のために何かしようなどおこがましく感じる。しかし、そういった感情を否定する意味はない。

 

私は駄目な人間だ。

しかし、守りたいものがある。家族だ。家族のために立ち上がれるならば、それは素晴らしいことじゃないか。一人ではないということがどれだけの力を持っているか、今の私には計り知れない。

 

所詮、私なんていなくたって世の中は平然と回ってゆくのだ。時代に足跡や名前をを残す必要だってない。

 

ただ、今、己よりも大切な人がいて、その人を守りたいと思う私がいる。

 

いつか彼女が安寧の中で微笑む顔が見たい。私は弱い人間だけれども、そのためにこの世界に強くアクセスしなければ。何を犠牲にしたって構わない。

 

私は、彼女のことを愛している。あの人は私の身体と心の一部であり、私と共に豊かな果実を包むひとつがいの殻である。

 

一人ではない。

私は恵まれているんだ。

 

勇気を出して、手を伸ばせ。

真昼のコウモリ

また公園。

 

ふと見上げたらコウモリが飛んでいた。こんな昼どきに飛んでいるコウモリもいるものなのだな。夜行性と思っていたけれども。

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間抜けなのか、変わり者なのか、あるいは私のように何かを病んでいるのか。なんにせよ、こんな晴天下でひらひらと飛ぶコウモリは私に不思議な違和感を与え、心を動かしてくれるものだった。

 

心が動くということは人間が生きる上でとても大切なことだ。負であれ正であれ、人は己の心の動きに対して結局は全力で向き合うものだ。 でも、それがいいのだ。

 

私の場合、鬱になると心が動かなくなる。まるで清涼感のない、生き物もいない、水はすっかり透明で澄み渡り、けれども永遠に陽の当たることのない沼。そこにある波ひとつ立つことのない鏡のような水面にあるものは、穏やかさではなく、無だ。

 

私はその水面の数ミリ下にじっと沈んでいる。無の直下に座り込んでいる。

 

少しだけ手を伸ばせば他者から見える。立ち上がれば水面から出られる。他者との出会い。それはとてもとても重要なことだ。ただ立ち上がるだけ、あるいは手を少しあげるだけ。でも、それができない。きっと、心を病んだ人たちは皆そうなのだろう。何をすれば良いかなんて分かっているのだ。

 

足元でアリが這いまわっている。パートナーは彼らのことを「ありんぼう」と呼び、私はこれをひどく気に入っている。(ただし室内で発見した場合は必ず殺害する)

 

ありんぼう。

彼らに思考はあるのだろうか。もし私も彼らのように無心に行動することができたら、私はきっと元の暮らしを取り戻せることだろう。

 

とてもシンプルで、だからこそ困難で簡単なことなのだけれど。

 

私は心を病む人間など弱い存在であり、社会不適合者なのだと考えていた。理解も許容もできなかった。

 

でもこうして今、私はその理解できぬ場所に佇んでいる。せめてもの抵抗として、私はここに座り、言葉を重ねている。

躁鬱のはざまで

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また夜の公園に来てしまった。

 

もう昨日のことになったが、日中、前向きな気持ちで当日しようと定めた様々なことをした。しかし夜になってばったりとダメになってしまった。

 

なんとか帰宅して倒れるように眠ったが、こんな時間になって覚醒してしまい、結局昨晩と同じ公園のベンチに座っている。

 

こんなのはまともではないと分かっている。しかし、この暗さと静けさが私の心を落ち着かせてくれることもまた歴とした事実だ。この深夜独特の静けさは普段の生活空間には存在しないもので、少しだけだが死や無、あるいは何か幽体離脱のような不思議な自由を近しく感じることができる。

 

私に自殺願望はない。14年前にほぼ末期のがんを患い、家族の助けを受け、7ヶ月の治療を経てなんとか命を繋いだ。その経験は私の誇りであり、宝だ。今の私の人格を形成したのはその時の経験と言って良い。

 

それまでには何かと思うようにならず、人生に絶望し、もう死にたいと思うことは度々あった。しかしガン以降、自ら命を絶ちたいと考えたことは一度もない。きっとこれからもないだろう。

 

それが今の私の強いバックボーンになっている。というか、最後の一線か……もしこの想いが途切れることがあったならば、私はおそらく生きていくことはできないだろう。

 

1年前まで私は社交的で活動的な人間だった。ネットの仕事をしていた関係で関連の知識に興味を持ち、資格も取得し、専門家に自ら連絡を取って知己ともなった。私もまだプロフェッショナルであると一応は自負できる。

 

さておき、その後、私の中で何かが崩れ、今の受け入れざる、しかし受け入れざるを得ぬ自分が静かに現われた。元々私の中に在ったものであることは疑いないが、もしこれを受け入れれば、もうまともに生きてゆくことはできまい。

 

しかしまだ彼に拮抗するものがある。今この文を書いている私だ。与えられた命を、人生を全うしたいと心底願う私だ。

 

今の私はふたつあって、それが向かい合い両手を合わせ、力比べをするように日々せめぎ合っている。

 

だからこそ、望ましい方の私が「助けて」と一言発することができれば、戦いは随分と有利になるのだ。私には友も家族もあり、奴の味方は酒だけなのだから。

 

勇気と覚悟を持ち、具体的に行動することが大切だ。それは今までだってずっとそうだったのだ。

 

深夜の散歩

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午前3時。

 

こんな時間だけども、目が覚めてしまい、そのあとどうにも眠れなくて外の空気を吸いに出てきた。出てみた。

 

酒ではなくコーヒーを買って、飲んでいる。雪印のコーヒー牛乳だ。甘みが少々強すぎるものの、幼少期から慣れ親しんだ味わいが心を落ち着かせてくれる。美味しいのではなく安心する味なのだ。

 

飲みながら、なんだ、これでもいいんじゃないか……なんて思ったり。でもコーヒ牛乳ばかり飲んでいたら今度は糖尿か何かになりそうだ。それでもアル中よりはましか(笑)

 

深夜の公園は真っ暗で、静かだ。あたりはほとんど真っ暗闇だけれど、そんな中私はベンチに腰掛けてこの文章を書き認めている。

 

もし警ら中のお巡りさんが通ったならば絶対に私を放っておくまい。深夜の公園でスマホをいじっている40男など、どう見たって普通ではない。うむ、身分証明書の一枚でも持ってくるべきだったな。

 

以前住んでいた中野なら、たといこんな時間でも人の姿が絶えることはなかった。私自身の状態も今ほど酷いものではなく、世の中は賑やかしくそれなりに華やかだった。どこにでも、いつでも人がいて、私を含む世界は生き生きと躍動していた。

 

今は違う。

 

私は他人が目もくれないような小さな淀みに沈殿した堆積物の一部となった。いつの間にか成り果ててしまった。今それに気づき、その淀みから抜け出そうと足掻き始めたところだ。

 

ネットでもなんでも少し調べてみるとわかることだが、重度のアルコール依存性から抜け出すことは、一人の力では非常に困難らしい。場合によっては命に関わるともあった。

 

私のアルコール依存の程度は客観的には不明だけれど、まずはパートナーや両親、友人の力を借りて立ち向かってみるつもりだ。その一歩目は昨日、踏み出すことができた。

 

今日も、明日も、その次も、日々淡々と喜びと感謝に満ちてひとつひとつ積み上げながらこの淀みを抜け出したい。

 

しかし、どうしてもダメなのなら、然るべきところに身を預ける他ないだろう。でも、自分がそこまでの状態ではないと信じたい。信じて戦うつもりだ。

 

そういえば、断酒会というのがあるらしい。いろいろ調べると宗教色の強いものも多いらしく、あまり良いイメージが持てない。貧困ビジネス的な悪いものもありそうだ。よく知らんけども。

 

そういえば映画「コア」で、地球の大ピンチに主人公の研究者が並み居る科学者や軍人たちを前に「断酒会のようですね」なんて発言して1ミリも受けない場面があった。あのシーンは良かった。

 

さて断酒会。同じ目標を持つ仲間がいることは助けになると思うけれど、今の時代、ネットで代用できそうにも思う。それに参加することでネガティヴな方向に引かれそうなのも怖い。

 

なんであれ、することは今の自分を棚卸しして現状を理解し、断酒を志す仲間たちと話し共有することでモチベーションを保つということなのだろう。

 

人間には繋がりが必要なのだ。そして私にはまだ繋がりが残されている。

 

空が明るくなってきた。

もう暫くしたら家に戻ろう。そこには大切な家族がいる。

 

あ、そうだ。

私の記事に星をつけてくださった皆さま、本当にありがとうございます。

パートナーのこと、環境のこと

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いつも行く公園。

今日はあまり天気がよくないね。

 

私の住む小平市はとても良いところだ。23区内から越してきたときは都落ちだ、なんて言ったりもしたものだが、実際に暮らし始めてみたら本当に素晴らしい環境だった。

 

この自然豊かで穏やかな街と比べたら、以前住んでいた慌ただしい某サブカルの街などメキシコの監獄のようなものだ。(というより、私が入居していたアパートがブタ小屋のような所だっただけだが)

 

こちらに来て特に気に入ったのは農家の方がやっている野菜の無人販売所、直売所だ。朝採りの新鮮な野菜が安く手に入る。大根や人参が葉がついたまま売っていたり、この歳まで知らなかったような野菜にも出会える。

 

ところで、有難いことに私には共に暮らしてくれているパートナーがいる。愛猫も2匹。ともすれば絶望しかねない今の状況で、この大切な家族が私を最後のところで引き止めてくれている。

 

絶望したときも、無気力になったときも、消えてなくなりたいような気持ちになったときも、崖っぷちの際には彼らがいて私を連れ戻してくれるのだ。それ以上行っちゃダメだよ、と。

 

パートナーは同い年の異性だ。彼女は特発性過眠症という眠りに関する病気と戦っている。ロングスリープという症状が代表的で、一度発症すると3日も4日も目覚めることがなく眠り続ける。薬を飲めば覚醒するのだけれど、起きれないのだから薬を飲むこともできない。大変な病なのだ。

 

私の依存症は始まりからして甘えのようなものだが、彼女のものは歴とした難病である。彼女はそれと懸命に戦っている。本当に懸命に。

 

昨年、難病指定の数が大幅に増えたことがあった。私たちは特発性過眠症が難病指定されることに期待したのだけど、患者数が少なすぎるためか指定はされなかった。落胆した。

 

彼女はとても心の優しい人間だ。ユーモアもあり、一緒に居て楽しい人間だ。こんな私と一緒に居てくれ、いつも見守ってくれている。私は心から感謝しているし、大切に思っている。

 

昨年のある出来事を契機に社会が恐ろしく感じて人と交わることができなくなった。でも、この状況は変えなくては。

 

心配してくれる両親も友人も、大切な家族も、手を伸ばせばそこにいるのだ。勇気を振り絞って、一歩踏み出すのだ。

 

今朝アカウントを作ってから3回も更新してしまった。そして、私は元々文章を書くことが大好きだったことを思い出した。

 

毎日何かすることは大切だ。皆がそうやって毎日ひとつひとつなにがしかを積み上げて生きている。

 

ところで、他人を頼ることができないのは自分を信じることができていないからなのかな。

 

もっと強くありたい。

アルコール依存症とうつ病と

私はアルコール依存症だ。

昔はただの酒好きだったが、あるきっかけからアルコールの効果、つまり「酔う」ということに依存するようになった。その時から酒は嗜むものでも楽しむものでもなくなってしまった。

 

症状が進むにつれ食事を摂る回数は減り、1度に摂取する量も茶碗に半分ほど。それを1日に1度。バランスの悪い食事のため体は終始不調だ。更に精神状態の悪いとき、つまり鬱の症状が出ているときなどはまったく食事を摂ることができず、数日で体重が5~6キロ落ちてしまう。

 

そうなると大変で、自室から台所まで少し歩くだけでも苦しくなりその場で動けなくなってしまう。食事も摂れない、水を飲んでも戻してしまう。体が栄養の摂取を拒絶するのだ。やがてひどい脱水症状と栄養失調で視界も定まらなくなり、真っ直ぐ歩くこともできなくなる。呼吸が苦しくその場で立っていることすらも困難だ。

 

私の安静時の心拍数は本来60程度だが、こうした状態のときは120~140を超えることもある。

 

幸い階下にクリニックがあるため、ひどい時には点滴や薬の処方を受けている。エレベーターで下に降りるだけで診察を受けられることはとてもとても有難いことだ。

 

最近は少し症状が良くなり、ある程度の食事を摂ることもでき、体重も戻ってきた。あとは規則正しい暮らし(こんな時間にブログを始めたりしておいてなんだが)、アルコールと上手に付き合うこと、大切なパートナーと猫2匹の生活を守ることができるだけの仕事をきちんとこなしていかなくてはならない。

 

私は昔から他人に助けを乞うことが苦手だ。「助けて」と言えない。どうしても言えない。他人から助けを乞われたときは全力で助けてきた。しかし、自らの窮地に誰かに助けを乞うことができない。なぜだかは分からない。本当は「助けて」と言いたいのに。誰にでもいいから。

 

44年生きてきた。

様々な実績も重ね、人間関係も広げてきた。専門の資格も、能力も、経験もある。

 

あとは一歩、動くだけだ。

その一歩をこの1年間、どうしても踏み出せずに来た。このブログを始めたのは、自分の現状を認識し、一歩を踏み出すきっかけになればと考えたからである。

 

働いて飯を食い、日々の暮らしを立てる。

誰でもやっていることだ。

 

私もそれを始めたい。

家族と、自分のために。